Biography
ストーリー
1950
Born in Nishiwaki City
創業の地で生まれ育つ
私はブレインの本社がある西脇市で生まれ育ちました。
父は材木屋を営み、子どもの頃から「いずれ材木屋を継ぐだろうな」と思っていました。
1969
School days
学生時代
“金崎芳樹と古井戸”に参加
大学は父親の「東京に行け」という言葉に従い、東京農工大学の林産学科で木の勉強をしました。寮生活をしたのですが、ここでの出会いが人生を大きく左右したと言えます。
寮ではさまざまな先輩や同期の仲間ができたのですが、中にはのちに三菱商事の副社長や内閣府の事務次官など、日本の中枢を担うことになる人も多かった。そんな友達を通じて知り合った仲間と、フォークグループ「古井戸」を組んで活動していた時期もありました。
そのメンバーのひとりが、後にRCサクセションなどでギタリストを務めた仲井戸麗市です。私は就職のために途中で脱退しましたが、残ったメンバーはヒット曲を生み、音楽シーンで大活躍。日本武道館を満員にしたと聞き、一抹の悔しさを感じたのも懐かしい思い出です。
1974
Encounter with computers
松下電工時代
コンピュータとの出会い
就職は松下電工株式会社に技術屋として入社しました。
営業を希望して建材の部署に配属されましたが、仕事ができないダメ社員のレッテルを貼られてしまって…。
配属されて1年が経つ頃、会社の基幹システム構築を陣頭指揮する担当者を募集していたので、名誉挽回とばかりに手を挙げたんです。これが初めてのコンピュータとの出会いになるんですよ。
初めてなので、独学でプログラムやコンピュータについて勉強しながら、ハードウェアメーカーに指示を出す毎日でした。
どうやら私自身にコンピュータの適性があったようで、スムーズに社内システムを完成させて部長表彰も受けました。
社内では一気にデキる社員として、女子社員からもチヤホヤされました。この成功体験が私の人生を変えたといっても良いかな(笑)
松下電工に4年在籍した頃に父から連絡があり、地元・西脇市に戻って家業の材木屋を手伝うことになりました。
ただ、家業の材木屋を手伝いながらも、その仕事に面白さを感じられずにいたんです。
そんな時、MZ-80Bというパソコンが登場しました。松下電工にあった3億円のコンピュータとほぼ同等の性能が、たった100万円で買えると知って飛びつくように買いました。
それからは仕事が終わってから、パソコンで材木の見積ソフトを作っていました。そんな時、周囲にコンピュータに興味がある人が多くいたので、20人ほど集めて1週間に1回程度、使い方を教えていたんです。
すると、この集まりが神戸新聞に「地元の跡継ぎ予定の若者がこういうエエことやってる」と取り上げられたんです。すると、記事を見た地元の職業訓練センターの担当者から「授業を担当して欲しい」と依頼を受け、勉強会が訓練センターの正式なカリキュラムになりました。
この講師料が初めてパソコンで稼いだお金ということになります。
昼は材木屋、夜は職業訓練センターの講師を週に1回という生活が続くかと思いきや、講師の回数が週1回から2回、4回と増えていき、ほぼ毎晩訓練センターで教えるようになり、稼ぎが材木屋と同じぐらいになった(笑)。
この時にやりたいことをやろうと決めました。そのせいで父からは勘当されましたが…(笑)
1982
Starting a business
15万円で起業
妻から渡された15万円を元手に、家賃3万円の空間でシステム開発事業を創業しました。最初は苦労するかと思いきや、友人や職業訓練センターの生徒たちがパソコンを買ってくれ、順調に黒字で推移しました。
職業訓練センターの生徒も着実に増え、市に加えて県の嘱託講師の仕事も受けるようになりました。しかし、システムやプログラミングの仕事はなかったですね。
しかし1983年、初のソフトウェア注文で作成した漢字変換プログラムが沖電気の営業マンの目に止まり、東京のビジネスショーに出展できることになりました。
そのビジネスショーでNHKの担当者と出会い、ビジネスにつながります。
1985
System development
織物デザインシステムの開発
NHKで採用されたのは、ニュース番組の進行表を作成するプログラム。飛び込んでくるニュースに合わせて刻々と変化する進行表を手描きで作成していたのをパソコンで作成するというものでした。それがうまくいくと、今度は看板番組『ニュースセンター9時』のスポーツコーナーで、プロ野球の結果を表示するプログラムを開発しました。
ドット文字ではなく、滑らかな文字フォントを表示できるプログラムです。それでも導入前は「なぜあんな小さな会社に依頼するのか」という声がNHK社内からも聞こえてきました。
そんな時、ブレインへの依頼を決めてくれたチーフディレクターの川上氏は「ご縁だよ。君は嘘をつかない人だと思う。他社はできないって言っているが、君はできると言っている。できたらすごいじゃないか。ダメなら去年のシステムを使えばいい」と言ってくれたんです。
この幸せな出会いのために、川上氏のために頑張ろうと思いましたね。
自社のシステムがNHKで採用されたというニュースをきっかけに、流通関係のシステムや「織物デザインシステム」の開発など、多種多様な仕事が入ってきました。
織物デザインシステムは当初の目論見通りにいかなくなり、巨大赤字を計上して「もはやこれまでか」と考えましたが、最後に一縷の望みを抱いてアメリカへ飛ぶと、大学時代の友人が勤める三菱商事との協業につながりました。
三菱商事はブレインのシステムを世界中に販売してくれ、私も世界中を飛び回る忙しさになりました。
1991
Head office built
本社竣工〜バブル崩壊〜震災
そして1991年には西脇市に本社を建てることができました。
当時、IBMのようなアメリカのコンピュータ会社の本社は、みんなマンハッタンのビルを横に寝かせたような建物を、郊外の森の奥に土地の起伏を活かして建てられていたんですよ。
あれに憧れて、自分の会社もそんな雰囲気を持つオフィスにしたかったんです。
ただ、ここからは苦境の連続で、そのきっかけがバブル崩壊でした。
1993年には東京都市博覧会のパビリオン企画や制作の仕事に取り組んでいましたが、突然の中止に見舞われて莫大な赤字が残りました。
さらに追い打ちを掛けるように1995年に阪神淡路大震災が発生。地元・関西圏の発注はほぼ全部キャンセルになり、この時はまさに会社存亡の危機でしたね。
それでも当時、富士通の本部長だった望月氏が、物心両面からサポートしてくださり、なんとか会社を存続させ、立て直しをはかれました。
2008
Turning point
経営のターニングポイント
しかし2008年、今度はリーマンショックが発生し、いよいよ富士通様からのサポートも期待できない状況に追い込まれました。
この時は会社を畳むつもりで『ニュースセンター9時』で当社のシステムを採用してくださったNHKの川上氏に会社を畳むご挨拶にうかがったんです。
その時の第一声が「神戸ちゃんジタバタが足りねぇよ。もっと思い切りジタバタしてごらんよ」という言葉だったんです。てっきり「頑張れ」とか「おつかれさま」といった言葉かと思いきや、「ジタバタが足りねぇ」と(笑)。
しかし、この言葉を聞いて「もう一回やってみよう」と思いました。
2013
Birth of BakeryScan
BakeryScanの誕生から
ヒットまで
そんな厳しい状況のブレインを救ってくれたのが「Bakery Scan」でした。
2013年に正式ローンチして以来、グッドデザイン賞やものづくり日本大賞の優秀賞などを受賞したほか、関西ものづくり新撰2014に選定されるなど、さまざまな賞や認定を頂戴しました。
そして「Bakery Scan」で培った基礎技術を「AI-Scan」と命名し、理化学研究所など、さまざまな方面に展開していくことになります。
2017
The bread looked like cancer cells
パンががん細胞に見えた
そして今私が最も力を入れているのが、「AI-Scan」の医療分野への展開です。
2017年6月にテレビで「Bakery Scan」が紹介された際、番組をご覧になったルイ・パストゥール医学研究センターの土橋先生からご連絡をいただいたのが始まりでした。
ガンの病理検査の効率化に取り組んでいて、ぜひ手伝ってほしいと。「パンがガン細胞に見えました。一緒にやりましょう!」という先生の言葉が今も耳に残っています。
こうして始まった取り組みは、日本臨床細胞学会総会をはじめ国内外の医学学会でも発表し、2023年から国立がん研究センターで実験使用が始まっています。
2021
Awarded
旭日単光章受勲
また、2021年の旭日単光章の受勲は、自分の中で想像もしていないことでした。
妻とともに皇居に呼んでいただいて記念撮影をしたりして、自分以上に家族や周囲の人たちが喜んでくれたことに、私自身も喜びを感じました。
こうして自分の人生を振り返ってみると、ブレインを設立してからは失うものが何もなく、むしろ得るものばかりでした。
2023
Outlook
これから目指したいこと、
展望
今後は、ルイ・パストゥール医学研究センター様と共同で進めている「AIを用いた診断根拠提示型細胞診断高度支援システムの研究開発」を実用化させることです。
これが今の私に課せられた命題だと考えています。経営者としては、これまで培った技術をより広く社会に役立てていくためには、他社との連携や協業など、幅広いビジネスの展開を模索する必要があると考えています。